人名辞典を紐解いたときに「あい…」とまっさきに登場してくるのが會津八一。そうした意味でも世紀初めの特集にはふさわしい人物かと取り上げてみました。
歌人で書家で教育者で東洋美術史家…とさまざまな顔をもつ會津八一が新潟生まれで奈良をこよなく愛したことはよく知られていますが、そんな彼がぶんか村エリアとどんな関係があるのでしょうか。
今年は八一の生誕120年。8月1日の誕生日が近づくにつれ會津八一の名を目にする機会が多くなるかもしれません。だからその前に…。

どんな人?
新潟の大きな老舗料亭「會津屋」に生まれた會津八一は文化的・芸術的に恵まれた環境に育ち、中学卒業の翌年には地元新聞社の俳句選者になるほど文芸的に早熟でした。後に俳句から短歌に移行。自らの系譜を万葉集→良寛→正岡子規→會津八一とし、歌壇に属さずいわゆる「独往」を貫きますが、斎藤茂吉などには高く評価されました。また「全歌集」も出版、宮中歌会始の召人も務めました。高校国語の現代短歌で今も取り上げられる歌人の一人です。
書家としても書壇に属さず「独往」。深い研鑚の上に立って独創的な手法を編み出しました。それには人の心を動かさずにはおかない不思議な魅力があり、きわめて高く評価されています。号は「八朔(はっさく)」「秋艸道人(しゅうそうどうじん)」「渾斎(こんさい)」。
教育者としては、早稲田大学を卒業後郷里の有恒学舎、坪内逍遥に招かれた早稲田中学、早稲田高等学院でおもに英語の教師、早稲田大学では文学部教授として東洋美術史を軸に教鞭をとりました。豊かな見識から湧き出す話のおもしろさに学生には大変人気があったようです。早稲田中学教頭時代を描いた「鳩の橋」(小笠原忠著/恒文社)に人柄を示す心温まるエピソードがたくさん紹介されています。

八一の墓が練馬にあった!
西武新宿線上石神井駅から西へ歩いて5分の法融寺に八一の墓があります。本当のお墓は故郷新潟の瑞光寺にあるのですが、交通事情がよくなかった1957年、彼を慕う知人や門下生が、新潟までお参りに行くのは大変だからと八一ゆかりの法融寺に分骨し、お墓を建てました。「秋艸道人」(八一筆)と刻まれただけの自然石の墓は、そのシンプルさゆえに彼の人柄を物語っているようです。

   

法融寺と會津八一 
信願山法融寺の先代那須信吾住職は八一と同じ早稲田のOB。八一が奈良で滞在していた東大寺観音院の上司海雲氏とは無二の親友でした。そんな縁で寺には八一の筆による「法融寺」「信願道場」という二つの扁額が掲げられています。住職が下落合の秋艸堂に出向いて書いてもらったこの額、お礼は八一の希望で現金ではなく寺で採れた野菜で支払われたとか。戦後間もない食糧事情の悪い頃の話です。
境内には墓石同様友人たちが建てた八一の歌碑もあります。ざらっとした生駒石に、奈良の石工により

むさしのの
くさにとばしるむらさめの
いやしくしくに
くるるあきかな

の歌と八一が描いたススキの絵が刻まれ、はるばる奈良から運ばれてきました。
この歌は『南京新唱』収められた17首の最後の1首。昭和35年(1960)11月、法融寺に友人杉本健吉画伯の設計で建立されました。
建立当時の様子は杉本画伯がスケッチし、その絵は寺が所有しています。毎年11月23日(祝)は秋艸道人忌(命日は21日)。八一を敬愛する70〜80人が法融寺に集まって法要を行い、お酒を酌み交わしながら遺徳を偲ぶというもの。誰でも参加できます。(会費3千円)
法融寺から上石神井駅に戻り新青梅街道方面へ向かうと、八一が英語を教えていた早稲田高等学院。といっても当時学校は戸山にありました。移転してきたのは1956年。奇しくもその年は八一の没年。学校がこの地へ来るのを彼は知っていたかどうか、ましてその近くに自分のお墓が建つことになろうとは夢にも思わなかったのでは。八一先生の生徒たちをいつまでも見守っていたいという気持ちがそうさせたのかもしれません。
法融寺:練馬区関町東1-4-16  03-920-0785

八一は新座とも接点が!
新座市の名刹平林寺に著名な歴史学者津田左右吉の墓があります。左右吉は、早稲田時代に八一の学位請求論文の審査をした人。後に八一は津田先生を岩手県平泉に訪ねています。長く愛読されてきた文芸誌「銅鑼」は、津田左右吉と八一の門下生たちが編集、発行しています。それで八一と新座がちょっとだけつながりました。

新宿中村屋
子息が早稲田中学で八一の教え子だったことから大きな支援を続けた中村屋初代の相馬愛蔵。店の看板はじめ「林下十年夢/ 湖辺一笑新」(1949年揮毫)等八一の書を数多く収集しています。八一は中村屋でたびたび個展も開いていました。ところで今出回っているお菓子のなかにも八一筆によるラベルがいくつかあるそうです。見つけてみるのも楽しいのでは?

日吉館
八一が奈良で常宿としていた日吉館は、志賀直哉・広津和郎・和辻哲郎・堀辰雄といった多くの文人にも愛された宿。日吉館の看板を八一が揮毫したことはあまりにも有名です。近年まで学究の若者に好まれる宿としてとても人気がありましたが、1982年惜しまれながら廃業。

會津八一に会いに

<早大會津八一記念博物館>

八一ゆかりの早稲田大学。西早稲田キャンパスの図書館を転用して1998年にできた博物館。八一の書、関連資料、非公開のまま学内に散在していた東洋美術資料や美術品のコレクション等を集めて展示。インターネットでも情報公開しています。「傭」の価値を初めて評価した日本人は八一だともいわれています。
JR高田馬場駅からバスまたは地下鉄東西線 рO3・5286・3835 無料日・祝休
http://www.waseda.ac.jp/aizu/


<新潟市會津八一記念館>
八一のすべてがわかる記念館。「独往」はじめ多くの書や愛用の筆など遺品を展示。120周年を記念して8月1日にイベントを企画中。内容は
本紙6月号でご紹介します。
入館500円 9時〜17時
月休рO25・222・7612
新潟市西船見町(新潟駅から車で15分)
http://www.city.niigata.niigata.jp/amuse 新潟市ホームページ

記念館から歩いて15分、新潟の文化民俗資料を擁する北方文化博物館新潟分館
*の場所が八一終焉の地です。
ところで、新潟までは大泉インターから関越自動車道でわずか4時間弱。新潟が遠かったからわざわざ練馬に分骨したのに日帰り可能なドライブ先になってしまいました。こんなに便利になったことを知ったら、八一さんもさぞビックリすることでしょう。
*北方文化博物館新潟分館
明治末期より伊藤家の別邸。會津八一の終えんの地であり、八一の作品を展示、庭内には歌碑も。良寛の書等を展示し、茶室では抹茶も楽しめます。

●開館時間/9:00〜17:00(4月〜11月)
●休館日/月曜
●料金/大人400円
●住所/新潟市南浜通2番町562
●TEL(025)222-2262
●交通/新潟駅前バスターミナルからI浜浦町行「西大畑」下車徒歩5分


研究家になってしまった 
喜多 上

高校の教科書に載っていた「唐招提寺の円柱」という随筆に感動したのが八一との初めての出合い。三重県の津に住んでいましたから奈良へもよく行き、八一の歌碑をあちこちで見つけては感動を新たにしました。そのときから八一の研究が私のライフワークに。八一を研究するうち劇的な出会もありました。門下生の一人とともに秋艸堂跡を特定したこともよい思い出です。
(朝霞市溝沼・文芸評論家)


書家としてファンです
新木藍水

私が秋艸道人を知ったのは20年以上前。その書に魅せられ、本を買い集めました。「印象」などの復刻限定本は苦労して手に入れた宝物。3年前から「楽しく書を学ぶ会」という教室で八一の書をお見せしています。みなさんにぜひ知ってもらいたくて。特に好きなのは八一の書翰。毛筆もペンも素晴らしいと思います。書家として手紙を書く生活を心がけています。 (大泉学園町・藍学舎主宰)

秋艸堂探訪
前述の喜多さんに教えていただき、八一が住んだ秋艸堂の跡を三ヵ所訪ね歩いてみました。
最初に秋艸堂をむすんだ場所は小石川区豊川町(今の文京区目白台)、豊坂という坂の途中で現在は出版社となっているところ。早稲田大学英文科の講師となった1914年の翌年から八一はこの地で過ごします。「秋艸堂学規」が作られたのもここ。その後同じ豊川町の神田川寄りに引っ越しました。
1929年に移り住んだ下落合秋艸堂は、聖母病院にほど近い落合第一小学校の隣で敷地の一部は板塀をめぐらした空き地になっています。当時はすぐ前の道路上に家がありました。「鳩の橋」の作者が訪れていたのはここの秋艸堂。今でも見学者が絶えないと、お向かいの古老が話してくれました。
林芙美子旧宅や佐伯祐三のアトリエが現存する「目白文化村」と呼ばれた一帯を抜け、さらに山手通りに出て歩道橋をわたるとまもなく1935年に移り住んだ目白文化村秋艸堂。かすかに文化村の雰囲気が漂っていました。今は個人の住宅になっている庭の太い樹木に目をやると、八一もこのサクラやケヤキを眺めていたのだろうかと、ふとそんな思いがよぎりました。

学規
一ふかくこの生を愛すへし
一かへりみて己を知るへし
一学芸を以て性を養うへし
一日々新面目あるへし

お知らせ
<鑑賞の手引き>
丸沼芸術の森陶芸倶楽部
2月の作陶展
広々とした敷地にゆとりの工房、本紙2号特集「池袋モンパルナス紀行」で紹介した朝霞モンパルナスこと丸沼芸術の森での展覧会です。優秀な講師スタッフ陣の親切でわかりやすい指導…そんな教室で腕を磨いた人たちの選び抜いた一人一点は力作揃い。創作・オブジェ・日用雑器に至るまで100点余、穴窯焼成の作品も多く、陶芸好きならずとも見逃せません。倶楽部には電動ロクロ10基、電気窯・灯油窯のほか赤松薪で本格的な信楽焼の焼ける穴窯と、陶芸を志す人の望むべきすべてが備わっています。くつろげる談話室もあり会員との意見交換にも花が咲くことでしょう。    作陶展開催日時:2月20日(火)〜25日(日) 1000〜1600
丸沼陶芸倶楽部 (048-456-1955)

<教室ガイド>
子どものための造形絵画教室 
フムフム会
「誰もがいつでもどこでも協調し合いながら自分の顔で生きられるように、そして誰もが持っている資質・能力が有機的な発達を通して開花するように」がこの会の目的。対象年齢は3歳から中学生まで。親子での参加ももちろん大歓迎です。ハミングしながら楽しそうに制作に取り組んでいる姿をみれば、子どもたちがここで心の自由や喜びを得ているのが一目瞭然。「今の子どもたちには学校以外にも楽しく居心地のよい生き生きできる場所が必要なのでは」と、講師で美大OG伊藤理恵さん。一度ぜひ覗いてみてくださいね。
日時:毎月第1・3日曜 9:00〜12:00 ¥2000(親子¥3500) 
場所::和光市中央公民館美術室(和光市中央1-7-27旧市庁舎跡)
(FAX 048-465-9635(柿本)

<スポット>
光が丘のっぽビルのコミュニティ空間
J.CITYギャラリー

大江戸線全線開通に伴いにわかにクローズアップされてきた練馬光が丘。とはいえ20数年前まで陸の孤島といわれていました。昭和28年からずっと建設資材置場だった土地に、近年前田建設工業(株)が23階建ての耐震・オール電化オフィスビルと、第一ホテル光が丘を建設しました。「営利追求でなく地元民の一員として地元のお役に立ちたい」という企業の想いがおしゃれな都市空間を作り出し、小さなギャラリーが誕生。身近な多くの芸術家が展覧会を催し、大勢の人が鑑賞に訪れています。絵画、書、ステンドグラス・七宝等工芸の数々…素晴らしい感性の持ち主33名が2月9・10日第一ホテル光が丘に大集合、合同展覧会を開きます。乞う、ご期待!光が丘・練馬高野台・成増の各駅からJ.CITYまで送迎バス有。詳細はぶんか情報欄・HP参照

<本> 
初心者のための写真表現 花と心をかよわせて
《著者からのメッセージ》 
  廿樂美登利 (写真家・下石神井在住)
花は美しく、可憐で、やさしい…それだけなのでしょうか。いいえ違います。マクロレンズを通して見る花は、個性的で力強くてロマンティックでさえあるのです。そんな花と向き合って10年。「室内で」「自然の光だけで」撮影する方法も記した2冊目の写真集です。被写体に使う花はほとんどが自宅の狭い庭の鉢植え。切り花も使いますが、生命力を表現するにはやはり生きている花にはかないません。今ガーデニングが大流行とか。重いカメラや三脚を抱えての遠出が辛くなったら、愛情込めて育てた花を、ポートレートを撮るように丁寧に撮影してみませんか。50歳を過ぎて写真を始めた私からのメッセージです。文化出版局刊1600円 ※廿樂さんはかつて新座市の写真講座で講師を務めました。2月のJ.CITYギャラリー合同展にも参加されます。 http://homepage2.nifty.com/fgreen/