■臨時特別号 


 今回も臨時特別号でお届けします。

「戦争はあかん!」
現地ガイドのおじさんは何度も何度も繰り返した。サイパン島の最北端には、1万人の日本兵が万歳しながら海に飛び込んでいった「バンザイクリフ」という断崖絶壁がある。戦争さえなかったら単なる風光明媚な観光地といえる場所。

テニアン島
 サイパン島の南西8qにあるマリアナ諸島の一つ。この島から飛び立ったB
29が、長崎と広島に原子爆弾を投下した。今もハゴイ空軍基地には4本の滑走
路が残り、島内には原爆を積んだピット、日本人墓といった生々しい戦争の傷跡が点在する。左は島の中央を貫く道路。下の写真は放置されたままの戦闘機の残骸である。世界屈指の透明度を誇る美しい海も、のどかな陸地も、悲惨な歴史を物語るばかりだ。撮影:プチぶんか村

ドングリを拾った子どもたち
大和田第一国民学校(現在の新座市立大和田小学校)の生徒たちは、戦局が厳しくなると市内の平林寺で畑を耕したりドングリを拾ったりした。教室がいっぱいになるくらいドングリを集め、それらを俵に詰めて大八車に積んで与野まで運んでいった。運搬の隊列は1qにもなったそうだ。小学生の足で新座から志木を経て荒川にかかる秋ヶ瀬橋を渡り与野までの往復は相当難儀だったに違いない。与野の加工工場に運ばれたドングリは、皮と身に分けられ、粉はパンやお菓子の材料に、皮から抽出したタンニンは軍靴、馬具、ベルトなどの革製品をなめすために用いられた。皮はお風呂屋さんの燃料としても使われた。当時の農林省・日本林業会が作ったポスターを見ると、「よい子のみなさんはおなかをいっぱいにさせるドングリをうんと拾ってたくさん食べましょう。
大いに拾ってください」と書かれている。
延々と与野まで運んでいってもお礼に粉をもらって帰るというようなことはなかったらしい。

風船爆弾を作ったのは
直径10mの紙の風船に爆弾を吊り下げて飛ばし、アメリカ本土を攻撃するというのが風船爆弾。偏西風を頼りに千葉、茨城、福島の太平洋沿岸から約9000個飛ばしたが、アメリカに到達したのはわずか200から300といわれている。埼玉県比企郡小川町で漉かれた和紙をコンニャク糊で貼り重ね畳一枚ほどにして乾かす…という風船爆弾づくりの作業を埼玉高等技芸女学校(現在の細田学園=志木市)の生徒たちが担っていた。14〜15歳の少女たちであった。

大和田通信基地
終戦を告げるポツダム宣言を受信したところ。もとは外務省の通信施設で、戦時中は海軍通信隊が敵信傍受していた。英語、ドイツ語、ロシア語、フランス語…とあらゆる言語のエキスパートを揃え、ベルギー製の「オール・ウェーブ」という当時世界一といわれたラジオが使われた。新座市、清瀬市、東久留米市にまたがる広大な敷地は、戦後民家もろともアメリカ軍に強制接収された。現在は縮小されながらも名残をとどめている。

野火止用水に身を隠したあのころ
「戦争に負けると、この辺りも進駐軍に占拠されました。当時は婦女子がアメリカ兵に連れ去られる…という噂が飛び交ったので、みんなで学園町から野火止用水まで逃げていきました。息をひそめているとやがてそれがデマだとわかり、無事に家に戻ることができました。とても怖かったです」
大泉学園町F・Kさんの話

ぶんか情報
※確かめてからお出かけください
企画展「75年前に戦争があった〜資料が語る戦時下の暮らし〜」
開催中 8/15(土)まで 観覧無料
9〜18時 月曜休館
練馬区立石神井公園ふるさと文化館
練馬区石神井町5-12-16
03-3996-4060
江戸の博物絵師 関根雲停〜牧野富太郎が愛した植物画〜
開催中 9/6(日)まで 観覧無料
9時30分〜16時30分 火曜休館
練馬区立牧野記念庭園記念館
練馬区東大泉6-34-4
03-6904-6403
貴島雄太朗ガラス展
8/1(土)〜9(日) 11〜19時(最終日16時) knulp(クヌルプ)AA
練馬区石神井町1-21-16 
03-3996-8533
※臨時特別号に多数のご意見、ご感想、応援をありがとうございました。
※7月22日、ジェイコムテレビ「ジモト応援!つながるNEWS」で紹介されました。※サポーター、定期購読の方へ。本格編集の体制が整い次第ご連絡申し上げます。引き続きよろしくお願いいたします。