■特集 義家の通り道 |
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が佳境に入ってきた。いざ鎌倉!と武蔵武士が通った鎌倉道は今なお当地に残っている。そうした意味ではこのドラマは親しめる。ところで源の…と聞いて思い出す歴史上の人物の一人に源義家がいる。なぜか当地周辺には義家にちなむ伝説の地が多いのだ。 源義家とは 練馬白山神社の大ケヤキ
武野(たけしの)神社 創建年代は不明。江戸時代の「新編武蔵風土記稿」に、社殿修復をしたのが平安時代(康平6年(1063年)と記されていることから、かなり古い神社らしい。社伝によれば、源義家が奥州征伐の途に立ち寄り社殿を北向きに建てて戦勝を祈願したという。北向きの社殿は全国でも珍しいが、それは朝廷の権力が届きにくい東北地方を神威によって治めようとする願いが込められたもの。武野神社は今も「八幡様」と慕われ、地域の総鎮守として厚く信仰されている。 新座市野寺3-11-34
宝仙寺 著名人の葬儀がよく行われる宝仙寺は、後三年の役を平定して凱旋帰京の途、護持していた不動明王像を安置するために義家が創建したと伝わる。義家にまつわる不思議な伝説も残る。 中野区中央2-33-3 大國魂神社
勿来関(なこそのせき) 福島県には二つの関所がある。夏の甲子園優勝校仙台育英が越えたのは白河の関。海沿いの浜街道にあるのが勿来の関。勿来関で義家が詠んだ歌は、 吹く風を 勿来の関と思えども 道も背に散る 山桜かな 文学上の関としても有名で、現在関跡には義家像や勿来関文学歴史館がある。
紀州梅専門店「梅の大谷」が移転 和歌山県田辺市の自家工場で製造された梅だけを扱う梅干専門店「梅の大谷」が、6月に旧店舗から歩いて1〜2分の洋品店があった場所に移転した。ふっくらした果肉の梅は絶品。塩分濃度や味など種類が豊富で、好みの梅が必ず見つかる。贈りものとしても長年の人気を保っている。練馬区東大泉 3-18-3 0120-415-520 10:00〜18:00日・祝休 大泉学園駅北口3分
BOOK紹介『がまんしない家』 〜これからの生活様式への住まいのリセット術〜 在宅に幸せを感じ、住まいのおかげで生き生きとできる暮らしが人生を豊かにする…と思い続けてきた一級建築士の著者水越美枝子さんが、これからの生活様式に合った住まいを提案する。コロナ禍で在宅時間が増えた今だからこそ住まい方を見直すチャンス!これからリフォームを考えている人もいない人も、盛りだくさんの写真や図面を参考にして快適ライフを目指しましょう! NHK出版 定価1500円+税 杉原千畝物語 オペラ「人道の桜」 1940年駐リトアニア共和国領事代理の時代に、亡命ユダヤ人約6000名に対し「命のビザ」を発給して、彼らの命を救った杉原千畝の生涯を忠実にオペラ化した作品「人道の桜」を、杉原千畝の母校である早稲田大学大隈記念講堂で、早稲田大学創立140年と創立者大隈重信侯の没後100年を記念して、11月3日(木・祝)に上演いたします。昨今の世界情勢が混沌とする現在、人類に今求められている差別や偏見のない、そして何よりも命を大切にした杉原千畝の想いが、観る方の心に深く刻まれることと確信します。 (オペラ「人道の桜」制作委員長 伊藤雅夫 新座市在住) ※詳細はお出かけ情報欄参照 オリエントハローズコーヒー再開 大泉学園バス通りの風致地区と都民農園の中間にあった「煎りたて・挽きたて・淹れたて」コーヒー専門店。今年3月に惜しまれながら閉店したが、ファンの強い要望で屋号をそのままに店主の自宅で豆(約10種)の販売を続けている。注文を受けるたびに必要量だけ焙煎しているため前日予約が必要。外出がままならない昨今、自宅でかぐわしいコーヒーの香りと味が楽しめるって最高! 090-7727-4006 都民農園バス停から1分
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■ぶんか村エッセイ125 |
快適な住まいの設計を目指して 水越美枝子(一級建築士事務所アトリエサラ椛纒\) みずこし みえこ 一級建築士。北茨城市生まれ。磐城女子高・日本女子大卒業後、清水建設入社。1998年から設計事務所を共同主宰。建築からインテリア、収納計画までトータルで住まい作りを提案している。日本女子大非常勤講師。NHK文化センター講師。著書多数。近著に「がまんしない家」(NHK出版)「理想の暮らしをかなえる50代からのリフォーム」(大和書房) 練馬区東大泉にオフィス兼住宅 物心ついてから数回引っ越しをしたせいで子供の頃から住まいにとても関心がありました。14歳の時に自宅を建てることになり、初めて設計図というものを目にし、図面通りに出来ていく家を見て設計をする人になりたいと強く思いました。高校卒業後、住居学科のある日本女子大学に進み、卒業後に女子の技術職を初めて採用する清水建設に入社。才能豊かな先輩達から多くを学び、バブル期で毎日残業でしたが仕事は楽しく天職だと思えました。結婚し、まだ育休法がない頃、覚悟を決めて娘を産み仕事を続けました。ところが夫が海外勤務になり、悩んだ末に31歳で退職。バンコクに6年暮らしました。当初は仕事を辞めた後悔が募りましたが、夫の「人生の休養期間と思ってここでしかできないことをやってみたら」という言葉で気持ちが切り替わり、博物館ガイドや育児サポートのメンバーになりました。ある時母親ボランティアで子どもの図書館を作る話が持ち上がり、設計を担当。この女性達との協働の経験は今も私の財産です。第2子を出産した頃、住んでいた欧米型の住まいが楽で合理的なことに気付き、日本の住宅の改善を考えました。帰国後友人と設計事務所を開き、新しい住宅の設計を模索。住まいの動線と収納とインテリアについての考えを書いたのが「40代からの住まいリセット術」と「いつまでも美しく暮らす住まいのルール」です。間取りの指南書として、台湾・中国・韓国版が出ています。事務所も24年。設計した住宅は新築とリフォームで全国300棟になりました。 ※特集面に関連記事あり |
■おでかけ情報 |
時節柄、あらかじめお確かめの上お出かけください。定休日が祝日のときは翌日が休みとなることなどもあります。 ●日本の中のマネ 編集後記 「カンブリア宮殿」出演の水越さんが、東大泉在住でしかも同窓だと知りエッセイをお願いすることに。「がまんしない家」に住みたくなりました。
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