童謡詩人の野口雨情と清水かつらがこの地域でつながったかも…というお話です。実際に出会ったかどうかはわかりませんが、わたしBとQちゃんの話にちょっと耳を傾けてくださいな。
BQの桜談義
B 昨年春、和光市まちの見聞特派員の足立惠一さんが写真をもって訪ねてくれたの。新倉ふるさと民家園隣の桜坂公園で見た桜を撮影したといって。看板に〈ウジョウシダレザクラ〉と書いてあったんですって。
Q 民家園へは行ったことあるけど桜には気づかなかったなぁ。それでどんな桜なの。ウジョウザクラって。
B あら、野口雨情を知らない。西條八十、北原白秋と並んで日本童謡界の三大詩人のひとりが雨情さんよ。彼にちなんだ桜がウジョウシダレっていうわけよ。雨情さんが作詞した歌なら知ってるでしょう。歌えるかな。「七つの子」「証城寺の狸ばやし」「赤い靴」「青い目をした人形」「波浮の港」「船頭小唄」…。
Q それなら知ってる。でも古い人よね。明治とか大正とか、
昭和にもかかってるかな。なぜそんな人の名前がついた桜が和光にあるのかしら。
B なぜかはわからないけどその桜が和光市にあることには少しばかり意味があるのよ。なぜって和光には清水かつらという童謡詩人がいるでしょう。今でも清水かつらにちなんだ歌唱コンクールが続いている。かつらは雨情さんとは16歳も年が離れているから、だいぶ後輩にあたるんだけど、童謡詩人という同じジャンルで活躍していたわけだから、どこかで接点がないとも限らない。それに、ここが最大のポイントなんだけど、雨情さんは「赤い靴」を、かつらは「靴が鳴る」を作詞した。つまり二人は「靴」つながりでもあるわけよ。
Q なるほど。それで和光にウジョウシダレがあってもおかしくないわけだ。
B おかしいどころか大変いいことなの、観光的にもね。だから私たちもこの桜の成長を見守っていかなくちゃ。ウジョウシダレザクラは雨情さんが住んだ宇都宮市の邸内に植えられていた桜を、東大付属日光植物園の故久保田秀夫先生が名付けたそうよ。エドヒガンの栽培品種。東日本大震災を伝承するために東北でも植樹されたらしいわ。ところでQちゃん、春になったら桜坂公園へ行ってみない。和光市駅から歩いて10分くらいだけど。
Q うんうん。写真を見たら実際に見てみたくなっちゃった。足立さんは3月27日撮影って写真の裏に記録してる。
ウジョウシダレザクラ(桜坂公園)
撮影/足立惠一 |
雨情さんについてもう少し
明治15年(1882)現・北茨城市磯原町に生まれる。本名英吉。生家は水戸徳川家藩主御休息所の「観海亭」で、「磯原御殿」と呼ばれた。家業は廻船業を営み、父親は村長も務めた。明治30年(1897)東京専門学校高等予科文学科(現・早稲田大学)に入学するも一年余で中退。少年時代より文学的素養があり作詞を手がけていた。のちに北海道で新聞社を転々とし、小樽日報社では石川啄木と机を並べた。
「赤い靴」
新聞社の同僚だった鈴木志郎とその妻かよから生き別れとなった薄幸の娘「きみ」の話を聞かされ、それが題材となって童謡「赤い靴」(作曲・本居長世)が生まれた。「赤い靴はいてた女の子」こときみちゃんは実在の人物だが、異人さんに連れられてアメリカへは行っていない。結核のため孤児院にて9歳で亡くなった。親たちはその事実を知らないまま小樽の富岡教会の門前で暮らし、熱心なキリスト教信者として生涯を閉じた。後年、鈴木志郎とかよの三女「その」が新聞に「私の姉は〈赤い靴〉の女の子」と投書したことが端緒となり、きみちゃんの話はテレビや書籍で広まり、各地に像もできた。
赤い靴をはいてた女の子の像
横浜山下公園 撮影/田辺裕二 |
小樽赤い靴・親子の像
小樽運河公園 撮影/編集部 |
清水かつら
明治31年(1898)東京深川生まれ。4歳で生母と父が離縁、12歳から本郷に住み、父と継母に育てられる。京華商業学校予科修了後、青年会館英語学校を経て、中西屋書店(のちの丸善)出版部へ入社。創設された小学新報社で少女雑誌「少女号」「幼女号」「小学画報」を編集した。同僚には「浜千鳥」「金魚のひるね」の作詞者鹿島鳴秋や「桃太郎侍」の山手樹一郎がいる。かつらも編集の傍ら童謡の作詞を始め、関東大震災で継母の実家に近い埼玉県白子村・新倉村(現・和光市)に移り、和光で生涯を送った。おもな作品は「叱られて」「靴が鳴る」「みどりのそよ風」など。退社後は地元花岡学院の講師を務め、「酒が飲めなくなったら終りだ」とつぶやいて1951年に没。享年53。音楽葬では児童合唱団が「靴が鳴る」を斉唱した。
「靴が鳴る」
かつらの代表的な歌の一つ(作曲・弘田龍太郎)。雑誌『少女号』11月号が初出で、大正8年(1919)に刊行された。和光市駅南口に「みどりのそよ風」「靴が鳴る」「叱られて」を刻んだ歌碑が立っている。
B Qちゃん、どうだった。
Q う〜ん、桜からはずいぶん発想を飛ばしたけど、こういう風に桜を見ることはおもしろいかもね。今年はお花見が期待できそうだわ。
フランス料理店「シェ・みや」
まさにプチぶんか村エリアの都県境、新座総合技術高校近くに昨夏オープン。渋谷のレストランで修業した野火止出身のオーナーシェフ宮田崇さんの店。選び抜いた材料を使った本格フレンチを提供している。野火止野菜がいとも優しい味を醸し出す。「居ながらにしてフレンチが味わえてしかもリーズナブル」「何度でも通いたくなる」と評判も上々。料理から丁寧な仕事ぶりが伝わってく
るのがうれしい。
新座市栄3-1-26(バス停「都民農園セコニック」から1分)
048-278-7163
月・火定休 駐車場(2台)要予約
ランチ11:30〜14:30 ディナー17:30〜21:00
「ららばい通信」に載りました
日本子守唄協会発行、編集人西舘好子さんの『ららばい通信新年号活動報告欄に「ぶんか村に掲載されました」(西舘さんのエッセイの号)と掲載された。♪送って行って送られてそのまた帰りを送って行って…みたいになっているが、他紙で紹介されるのは光栄だし、またのご縁をと期待が膨らむ。本紙前号で紹介した2冊に加えて西舘さんの著作『日本の子守唄』(ユニコ舎刊1800円+税)を紹介すれば、全国取材した子守唄のほかにも昭和天皇や現上皇様が聴いて育った子守唄は…などの未公開情報も収められ興味深い。
桜のプロムナード「大泉ガーデン」
珍しい緑の桜があると以前から地元で噂になっていた御衣黄(ギョイコウ)が門前にある大泉障害者支援ホーム。その敷地内には5種類の桜が植えられている。ソメイヨシノ10本、御衣黄3本、ヤマザクラ、鬱金(ウコン)がそれぞれ2本、十月桜1本。ネームプレートがついているので名前を覚える手がかりになる。若木を含むが大木もある。門前の御衣黄を見据えて植樹された御衣黄は、昨年数個花をつけたそうだ。敷地内のカフェ・ヴィ―ボ・ツリーの眼前に広がる大泉中央公園の桜の景観もすばらしい。桜のほかにもハナミズキ、ライラック、アジサイ、ヤマボウシなど樹木の種類が豊富なので、受付やカフェに置いてあるマップを手に散策するとよい。練馬区大泉学園町9-4-2 03-3978-5581開放日/月〜金(除祝)
9:00〜16:00 長久保バス停から3分
「リーシェガーデン大泉学園」ギャラリー
当方は2年前に開設した高齢者介護施設です。私共はご入居者様の生活のお手伝いや介護援助はもちろん、地域の方々との出会いを大切にしています。音楽会等のイベントは地域の皆様にも開放し、一緒に楽しんでいただいています。様々なご縁が生まれフレイル予防体操指導、囲碁の相手、おいしいコーヒーの準備、健康講話などすべてがボランティアで成り立っています。この度オリエントハローズコーヒー様経由で長年国立埼玉病院に絵を飾っているプチぶんか村「道の会」の活動を知り、「五感」を楽しく刺激する絵画展示に大変興味を持ちました。主宰者の同意を得て早速数点の絵画を拝借。廊下に絵を飾るだけでその場の空気がパッと変わり、ご入居者様より「絵は外につながる道を持っている」「外に出た気分になる」との感想を得ました。絵画の持つ力を改めて認識した次第です。(生活相談員
二川祐子)
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