プチぶんか村は紙面を飛び出して多くの文化的な催しを展開してきた。なかでも12回にわたるさくら展は特筆すべきこと。コンサートや朗読会なども企画した。振り返ればどれだけ多くの人が関わってくれただろうか。
わたしのおひなさま展から
光が丘のホテルカデンツァが第一ホテル光が丘といっていたころ、隣接J・CITYビル1階の片隅に小さなギャラリーがあった。聞けば企業(前田建設)の地域貢献とのこと。目の前にアトリウムが広がるロケーションにも魅かれ、「わたしのおひなさま展」を企画し第一歩を踏み出した。
目指したのは「出展者も来場者も主催者も関わった誰もが楽しめる展覧会」。というわけでジャンルの異なる30名の地元作家を募り、同じテーマで競作してもらうことに。その結果、報道の助けも借りて予想以上に賑わった。それがプチぶんか村創刊3年後の2003年。
おひなさま展を見てくださった和菓子の大吾の店主から「こうした展覧会ならお菓子でも参加できますよ」といわれ、翌年には地元の和洋菓子6店舗を誘って初めての「さくら展」を開催。出展者40名。来場者はお菓子で作られた桜の造型に大喜び。反響によりさくら展を機に商品化された菓子もある。
桜ロールと桜サンド
(ナカタヤ) |
テーマは海?山?
海の日のころに「わたしのラ・メール展」、山の日のころに「わたしのマウン展」を企画。テーマが桜でなくてもみな意欲的に制作に取り組んだ。シャンソン「ラ・メール」を歌う人、ピアノで「海」を連弾する人も現れ、立体的に盛り上がった。
桜の街のさくら展
「桜の街ってどこ?」と訊ねられ、大泉学園通りの桜並木を想定してその一帯と答えた。
展覧会活動と同時進行で当紙編集長が日本櫻学会の会員になる。学究の先生方に混じって地元の桜情報を提供する役目。科学の分野に初めて社会科学が加わったとされる。日本櫻学会は、「無重力の宇宙でシダレザクラはどうなるか」の研究で知られる中村輝子先生(本紙エッセイ#11)が立ち上げたもので、多様な角度から桜に取り組む先生方により成り立っている。毎年開かれる研究発表会で桜の奥深さに覚醒し、当エリアには珍しい桜が多いことにも気づかされた。だから「桜の街」は健在といえる。
フランスでの文化交流
「にいざほっとぷらざ」でのさくら展最終日、片づけ始めた会場に飛び込んできた一人の女性がいた。「この展覧会について詳しく知りたい。ぜひ連絡を」という。彼女は郡山アヤ子さん(エッセイ#61)で、フランスのメッスという街と文化交流をしていた。さくら展のメンバーでフランスへ行ってもいいという作家はいないか。これに南画の鶴岡桃華さんが応えた。2010年のこと。付き添と取材を兼ねて編集長が同行。「ところであなたは現地で何ができるの?」「折り紙指導と折びなの展示、桜餅100個を手作りするくらいです」。櫻学会の先生のレシピをもとに作った桜餅のコーナーは、ホームステイしたフランス人宅に揃っていた炊飯器や道具を借りて、また同行の仲間の協力により大盛況となった。
桜餅に興味津々!食べていい? |
ユニークなさくら展
会場探しはいつも悩みの種。作家たちはそれぞれ自己の負担が少ない会場を望む。40名もいれば全員を満足させることなど不可能だ。駅に近く度々使ったのが大泉学園ゆめりあギャラリー。細長い廊下のような会場をうまく利用できないかと大阪造幣局の「桜の通り抜け」に倣った見上げる展示を試みた。作品はプチぶんか村さくら組による共同制作で、展示のあと老人福祉施設に寄贈した。
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「大吾の花見」 大草長二作
(↑全てお菓子)
〈秀吉の「醍醐の花見」になぞらえたネーミング〉 |
桜の四季を見上げる女性
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フィンランドさくら展
保谷に住むフィンランド人の永原リタさんとは彼女の講座を受講したことで知り合った。この出会いがやがてフィンランド展に発展。2013年5月、参加20数名、そのうち13名がフィンランドへ。ヘルシンキ駅の向かいにある会場のCaisa(カイサ)ギャラリーは公的施設だがルールは緩やか。ギャラリーにあるものは自由に使ってよし、時間内なら手伝うことも惜しまず、館長さんからは「来年もまた当所でさくら展を」とのお言葉もいただけた。心のこもる対応には一同感涙。
日本組は浴衣の着付け、茶道披露、懇親パーティ用の太巻き・桜餅作りと、展示以外の国際交流にも力を注いだ。
役目は果たせたか
「出展者も来場者も主催者も関わった誰もが楽しめる展覧会」は2019年で終結。自画自賛になるが、振り返ればどの展覧会もすばらしかった。
現在はその精神を生かしてサブスク方式の作品展示(国立埼玉病院「道の会」、練馬区の松崎医院、リーシェガーデン大泉学園)として継続している。
東京演劇アンサンブル2023年度研究生公演
二人の男が線路への飛び込み自殺をしようとして偶然出会い…という岸田國士の戯曲。一方、兄の遺体を野ざらしにされた妹アンティゴネが、身を賭して王クレオンに逆らい、クレオンの仕掛けた戦争の内幕を暴いていくブレヒトの傑作。役者の卵たちが挑戦する。岸田國士作『命を弄ぶ男ふたり』と、
ブレヒト作 谷川道子訳『アンティゴネ』。構成演出/小森明子4/20(土)18:00・21(日)14:00
入場無料(要予約)。野火止RAUM ※おでかけ情報参照
※東京演劇アンサンブルについては2018年12月号特集「ブレヒトの芝居小屋」参照
オリジナル「カレークッキー」
〜読者からリクエストがあったので掲載〜
もともと塩味がほんのりと感じられるサクッとしたクッキーを作っていたが、ナイル商会(練馬区)の社長さんにエッセイを書いていただいた縁でインデラカレーをよく使うようになった。常備している。おなかが空いたときに一つ二つ食べればひとまず落ち着く…というカレークッキーを独自開発。このほど玉ねぎパウダー(近々一般販売見込み)を加えたところ風味が増してぐんとおいしくなった。ナッツを混ぜ込んでいるせいか味のバランスもよく、後を引くという人も。
新座の平林寺に眠る丹下ウメとは
NHK朝ドラのモデルは女性で初めて弁護士・判事・裁判所所長となった三淵嘉子。一方日本のリケジョ(理系女)の先駆者といえば1913年に東北帝国大学理科大学(東北大学理学部)に日本女性として初めて入学した丹下ウメ(他2名)。ウメは化学、栄養学を研究した。東北帝大卒業後大学院に進学し,学士号を取得して助手となる。1921年アメリカ(コロンビア大学,ジョンズ・ホプキンス大学等)に留学し、Ph.D.を得て帰国。母校日本女子大学教授や理化学研究所嘱託を務め、1940年には東京帝国大学より農学博士の学位を受けた(女性で2人目)。郷里鹿児島市には丹下ウメ博士像や生誕地の碑を含む〈「さつま」ビタミンロード〉を巡る観光コースがある。昨年夏、親族・関係者が参列し開眼法要と顕彰碑除幕式が行われ、丹下ウメは平林寺に眠ることとなった。享年83。
推しデス満月の「月麺火山」
このコーナーは、ジモトのおいしい店、おいしいものを見つけた読者からの投稿を掲載します。編集部にお寄せください。先ずは編集長から辛麺好きなら見逃せない一品です。満月は和菓子店ですが、和菓子もさることながら?もごはんもメニューは豊富。店主が高校時代によく食べていた「中本」の辛麺をいつか自分の店でもと思い実現させたのが月麺火山
(750円)。テレビ東京の「アド街ック天国」や「モヤモヤさまぁ〜ず2」
でも紹介されました。
プチぶんか村の発信地「都民農園」(バス停名も同じ)から徒歩1分。火曜定休
03-3925-5176
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