|
当地が南極と縁があるってホント?猛暑の折なので、白い南極に思いを馳せて少しでも涼しくなれればという特集です。
日本人で初めて
南極に到達したのは白瀬矗(しらせのぶ)。明治44年、資金調達に苦労し、船は鮭とり船を改造した204トンの海南丸で出航。第一次観測隊の2700トン「宗谷」と比較してもいかに小さいかわかろうというものだが、白瀬が金メダル何個分にも相当するような偉業を成し遂げて帰ったというのに、借金返済に追われる日々が待ち受けていた。軍服から刀まで売れるものは何でも手放し、すさまじい転居を繰り返す。

白瀬中尉(浄蓮寺の許可を得て掲載) |
 |
昭和4年から6年には大泉や石神井に住んだ。
その後地方を転々とし、16年に再び大泉に戻ってくる。住まいは地図にある東京都練馬区と埼玉県新座市の都県境。そのころは雑木林にウサギが飛ぶような環境だった。白瀬は故郷の秋田県金浦町(現にかほ市)から徒歩で上京したくらいだから、自宅から大泉学園駅までなどわけなく歩いたであろう。
講演を繰り返したりして借金の支払いを終えたのが70歳超え。その間惨めだとも恥だとも思わず、いじけたり自暴自棄になったりしなかったという。
なお、地図で示した白瀬の住んだ家は現存しない。
第一次南極地域観測隊
白瀬の南極から実に約半世紀を経た昭和31年11月8日、130名を乗せた宗谷が晴海埠頭を出港。それ以降の南極観測は国家事業として行われる。第一次観測隊には練馬区から唯一地磁気の小口高氏が参加。小口は第二次・三次観測隊に参加、第12次観測・越冬隊長も務めた。著書に『宇宙空間の科学』『神秘のオーロラ』などがある。
ところで、出発してから翌年4月に帰還するまで、船内や基地では日刊新聞が発行されていた。その名も「南極新聞」。
協力者が手伝うこともあったが、ただ一人朝比奈菊雄が取材、編集、ガリ切り、印刷、配達を担当した。隊員はこの新聞を毎日楽しみに待っており、隊全体の潤滑剤、精神安定剤として機能した。観測隊の様子を広く知ってもらおうと昭和57年に文庫化された。上・中・下三巻、旺文社。
新座三中で越冬隊長の講演
30年も前の話。保護者会が第30次観測・越冬隊長江尻全機氏を招いて講演会を催した。3年生対象で、滅多に聴けない話に生徒たちは興味津々、目を輝かせて聴き入っていた。当時CMで流れていた「南極ではバナナで釘が打てますか?」という質問も飛び出し、会場爆笑。
南極料理人
南極では食事タイムがいちばんの楽しみ。専任の料理人が毎日3食工夫を凝らしたおいしい料理を提供している。著書が映画やドラマになった西村淳さんは、第30次と38次(38次は越冬も)観測隊の調理隊員。30次といえば、前述の新座三中で講演をした隊長の江尻全機さんも西村さんの料理を食べていたのではなかろうか。映画ではインスタントラーメンが底をついてパニックになるなどの事件(?)も起きた。
そんな南極料理人の西村さん、「安心、・お手軽な南極の〈美味しい〉をご家庭でも」…と「南極料理人やみつきシリーズ」を開発し監修している。やみつきニシン・やみつきシャケ、やみつきタコ、やみつきタラの4種の瓶詰で、北海道素材をフルに生かしたすぐれもの。ご飯のお供に、お酒のつまみに、はたまた簡単レシピでパスタ、ピラフ、ブルスケッタなど。ちょっぴり南極気分が味わえそうな食品だ。ネット通販が便利。
南極から届いたエッセイ
「日本から約1万4千q離れた南極昭和基地で私はコンピュータに向かっている」…とのエッセイが届いたときにはこんなにたやすく南極と交信できる時代になったのかと震えたものだ。堀内順治氏は、第44次日本南極地域観測隊地学系観測隊員。「南極域から探る地球史」や「南極プレートにおける地学現象のモニタリング」観測に従事した。当時は東京学芸大学教育学部附属大泉中学校教諭で練馬区在住。本紙主催「わたしのマウン展」にも参加し、南極の氷山の写真を披露した。堀内氏のエッセイ「南極は両極」は、プチぶんか村のホームページで読むことができる(2003年12月号)。涼しくなれるのでぜひアクセスしてみてください。
白瀬の名は不滅です!
南極観測船・砕氷艦「しらせ」。現在は2代目で1万2650トン。
白瀬矗の功績をたたえて名づけられた。
松永伍一と茨木のり子
1956年の茨木のり子の日記に「松永伍一の詩集『草の城壁』を読む」とある。松永の上京は1957年だから、このとき2人はまだ詩集で出会っただけだった。ほどなく親交を深めていくことになり「近所に松永さんが住んでいらっしゃることは、私の暮しを大変豊かにしてくれ、強い刺激剤ともなってくれている」と、『松永伍一の十年』に「良き隣人」として茨木が一文を寄せている。近所とは茨木が保谷(東伏見)、松永が練馬(上石神井)。茨木は松永の整理整頓が行き届いた仕事部屋を訪ねて帰ると必ず片づけに勤しんだという。松永を同郷の師と仰ぐ近藤征治氏(新座市)は「先生宅におじゃましている時、茨木のり子さんから電話がかかった」と。地元の詩人2人の交流物語…
10回目の記念展示会
野火止用水灯明まつりは、地域の風物詩。子供たちに夢や願いをかいてもらった灯明袋が、用水のほとりに並び、夕方にはライトが入り美しく輝きます。今年は10月18日、15時〜18時の予定で、ふるさと新座館前の用水の流れる公園での開催予定。雨天は室内開催。野火止公民館や十文字学園女子大学との共催で、新座市の後援イベントです。
コロナの2年の中止を乗り越えて、第10回となったので、その歴史を振り返る展示会を開催。新座市役所の市民ギャラリー、8月12日〜14日。会場で灯明をかくこともできます。
連絡先:チーム・キャロット
横山090-5783-6341
※おでかけ情報参照
高齢者もこどももいきいきと暮らす街に
【あれから】2018年に新座市において「K1・北一の絆 楽しく、ささえて会」の活動を始め、2024年にはお仲間皆さんへの評価として内閣府の社会参加活動団体・グループの一つとして表彰の決定を頂いた。
【これから】この活動を地域に根差すプラットホームとしてアメーバーの如くよりきめ細かく、社会の多様性に応えていけるよう確かな足取りで歩み続けたい。
【それから】活動の社会的認知及び評価への責任として活動内容や理念などを発信していきたい。幸いにも新座市にある十文字学園女子大学で10月4日に公開講座「高齢者もこどももみんなごちゃまぜ?
―交流からはじまるつながりづくり―」の講師を務める機会を頂いた。多様性社会における地域住民主体の社会参加活動について大いに語りたい。読者の皆さんもぜひお出かけください。「K1・北一の絆
楽しく、ささえて会」代表 岩崎 隆 ※おでかけ情報参照
リストランテさかいのアマトリチャーナ
〜「天取茶茶(あまとりちゃちゃ)」さんより〜
いったいいつから「リストランテさかい」に通っているのか?息子の幼稚園時代のママ友と行ったのが最初だからもう40年位になるだろうか?その時からアマトリチャーナ一筋。今日こそは違うものを頼むぞ!と思ってもやっぱりアマトリチャーナ。最初はサラサラのソースの中に入っている緑の手打ち?が、混ぜて食べていくうちに玉ねぎが、ベーコンが、チーズが絶妙に絡み合ってここでしか味わえないアマトリチャーナに変身していく。15年前に故郷九州に戻ってからも、上京する度にさかいさんへ。来月にはまた東京。だから、やっぱりアマトリチャーナ。
新座市栄5-2-6
048-477-4963
11:30〜14:00
17:00〜21:00 月・金定休
【アマトリチャーナ】ピリ辛トマ
トソースパスタ ¥1100(税込)
|