といってもだれかは知っているかもしれない。一昨年3月初めのこと。JR武蔵野線新座駅近くで満開の濃い桜を見た(写真左)。桜は訴える。「私はあのときの桜よ」と。あのときっていつ?…かくしてプチぶんか村の桜探しが始まった。
よみがえった記憶
そう、あれは2003年だから20年も前になる。新座駅南口公園で「野火止新田開墾・野火止用水開削350年記念事業オープニング式典」が開催されたのだ。もしかするとその際に植樹された桜ではないだろうか?
プリンセス雅
ところで天皇、皇后両陛下のご成婚は1993年。その頃、埼玉県内で新たな桜が発見され、皇后さまのお名前にちなんで「プリンセス雅(みやび)」と名づけられた。
本紙が調べたところによれば、命名したのは埼玉県鳩ヶ谷市の轄驪ハ植物園卸部部長だった大山幸男さん(故人)。会社に持ち込まれた珍しい桜は、寒緋桜と他種(染井吉野?)との雑種とされ、傘状の一重咲で濃いピンクの中輪の花というのが特徴だった。開花は4月上旬。南口公園に植樹されたのはこのプリンセス雅のようだ。
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河津桜(新座駅西口公園) |
オープニングセレモニー
「野火止新田開墾・野火止用水開削350記念事業オープニング式典」が開催されたとき、埼玉県ゆかりの「プリンセス雅」が選ばれた。埼玉県知事、新座市長はじめお歴々が列席するなか、花を添えたのは振袖姿の第19代日本さくらの女王浅野玲子さん(当時東京大学在学)とドレスをまとった全米さくらの女王エリザベス・クレイビルさん。プリンセス雅は彼女たちの手により植樹された。ちなみに桜の苗木を寄贈したのは新座中央ライオンズクラブである。
当日の様子は新聞各紙で報道されたほか、 (公財)「日本さくらの会」の工藤園子理事が小紙エッセイのなかで触れている。
※第24号
2004年2・3月号参照
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2003年5月9日付 朝日、毎日、読売新聞 |
野火止用水について
江戸時代、関東ローム層の乾いた武蔵野台地に玉川上水から水が引かれて飲み水として使われ、田畑をも潤すこととなった。これが野火止用水で、「伊豆殿堀」ともいう。昭和20〜30年代になると生活排水の流入による汚染が深刻化したが、近年の公共事業により清流が復活している(といっても飲料には適さない)。
開削に関わったのは知恵伊豆として名高い老中松平信綱。土木工事は家臣の安松金右衛門と小畠助左衛門が担当した。小平市から新座市を経て志木市に至る約24qを、わずか40日で素掘りしたというから驚く。野火止用水開削に尽くしたこの3人は平林寺に眠っている。
ところで、用水路は関越自動車道を空中横断する。頭上の用水に気づくドライバーはいるだろうか。野火止用水は小学校校歌に出てくるし、郷土史として貴重な学習教材となっている。またクリーンキャンペーンが行われるなど、現在でも新座市民の身近にあり親しまれている。
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野火止用水(本多緑道) |
とんだ勘違い
冒頭に記した桜は撮影したのが3月4日であるから4月に咲くプリンセス雅ではない。河津桜であることが後日判明した。この河津桜もプリンセス雅と同年に市民が寄贈したものらしい。この濃いピンクの河津桜がプリンセス雅の記憶をよみがえらせてくれたので、間違えたにせよ気づきには意味があった。ではプリンセス雅はどこにあるのか。なんと河津桜の西側に3本、確かに存在していた。その中の1本を目測してみると、樹高約8m幹回り約90pであった。(昨年再訪した際には樹高4mほどに剪定されていた)。
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プリンセス雅(2021年12月撮影) |
プリンセス雅(2020年3月撮影) |
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プリンセス雅の開花(2022年3月29日撮影) |
野火止用水の記念樹となれば
興味津々。まだ花を見ていない編集部としては開花を待ちわびずにはいられない。新座駅南口公園で静かに成長してきたプリンセス雅。園芸店でも苗木を販売しているが、20年クラスとなればそう多くはないはずだ。ある意味珍しいといえるだろう。今年はこの桜に注目したい。河津桜は3月上旬、プリンセス雅は4月上旬に開花予定。散歩がてらに観賞してみてはいかが?
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